痛み止めで何とかキーを打っています。私のPCからメールが送れなくなったみたいです。以前書いたエッセイを紹介します。新聞には載りませんでした。詳細は岡崎さんにスカイプで話してはありますが。

SL 銀河号
休日になると家の前をSL銀河号が「ボー、ポー」と愛嬌
を振りまいて通る。父の実家は浦和だったので一家そろ
って一日がかりで汽車に揺られて出かけたものだ。体中
煤だらけだった。通学も汽車で貨車にすし詰になってト
ンネルでは息を止めていた。釜の火に石炭をくべる機関
士の汗みずくの姿も目に焼きついている。私を降口で引
っ張り上げてくれる人もいた。汽車は徐行してくれたっ
け。乗り遅れると一時間待たされる。よく線路の上を歩
いて帰った。途中鉄橋があり、線路に耳をあてて汽車の
音がしないのを確めて渡ったが、足下は川、来るかもし
れない汽車に怯えた。渡りきった安心感は何にも代えが
たかった。満喫している風景には、いつも私一人だけだ
った。母の実家にも一人で行った時も、祖母が遠い我が
家に一人で来た時も、煤煙を吐き出す汽車だった。思い
出は尽きないが
年を経て、及川一男著「深き流れとなりて」を読んで以
来、国鉄労働者がいかに私達の安全確保に全力を尽くし
ていたのかを知った。JRの分割で利益優先が本流となり
、利益の上らない過疎地、特に北海道は、安全軽視で事
故が多発している。一方リニア新幹線が取りざたされて
いる。時代には逆らえないが、「お金より生命」を大切
にしてもらいたいものだ。さて、息子が小学生の頃、家
の前をSLが走った。大勢の人が写真を撮りに来た。命知
らずにも彼は、ぎぎぎりまで近付いてシャッターを押し
たそうだ。よく撮れているとかで本人は自慢している。
あの鉄の塊の蒸気機関車が安全に線路を走るためにどれ
ほどの保線区の技術者が携わっているのかを何時かは知
ってほしいと思う。息子には間もなく女児「花音」(か
ろん)が授かる。彼女はいつの日か、蒸気機関車なる物
をSLとして見学に来ることだろう。御祭騒ぎだけではな
く、そこに「働く人たちの誇りと歴史」を汲み取ってほ
しいと思う。