論壇への投稿です。

集団的自衛権は外国での殺人を容認することだ。

憲法九条を何度も読み返した。

九条二項に「国の交戦権は、これを認めない」とあるの
を、長い間見逃していた。

交戦権とは?改めてネットで調べてみた。

そして、「交戦権」を語らないのか:ダグラス・ラミス
- Peace Philosophy この件については、鍵となる言葉
、「交戦権」を論ぜずして理にかなった話をすることは
できない。「交戦権」とは、殺人罪に問われることなく
戦場で人を殺す権利である。憲法9条は、日本国はこの
権利を与えられていないと定めている。以下省略」に出
会った。

集団的自衛権という言葉で「海外で人を殺したり、殺さ
れたりしていいのか?」との訴えに、共感していたが「
殺人の容認」にまでは、思い至らなかった。

いよいよ、公明党閣議決定に賛同する、という報道に
接した。

交戦権では、何人殺しても殺人罪には問われない?

つまり、戦争中は、殺人罪は容認されるということにな
る。

最近、死刑が実行されたようだが、殺人とは、日本では
「死刑」に値する極悪犯罪なのだ。

どんな理由や状況があろうと、人を殺したら、それは殺
人であり、殺した者は殺人犯であり、それ相当の罰を受
けるのが当然ではないか。

以前読んだ、住井すえさんの「橋の無い川」で、主人公
は、これに疑問をずっと抱いていた」

彼女自身、「戦争は集団殺人だ。集合凶器準備、凶暴財
(やくざ)に当たる、こんな理不尽があっていいのか?」
と語っていた。

彼女の生きた時代に、このようなことを発言するのは、
命がけであった。

憲法策定の際、住井さんは、メンバーに選ばれたが、
あまりに旧態依然とした、国体保持の原案だったために
、委員の椅子を蹴って、止めたそうだ。

「殺人は殺人だろう」という素朴な感覚こそ憲法の趣旨
なのだ。

真に、人間として、多くの人々を殺害してきた日本人と
して

これは、貫くべき真情だと、私は思う。

平和憲法に保護されている日本を除いて、世界各国で、
紛争や戦争が、ヒッキリナシニ起きている。、

大手マスコミは報道しないが、そこには、大国の利権争
いによって、踏みにじられた民族間の紛争の火種が、必
ず存在している。。

テロを行う勢力は、、子供たちを洗脳する。そうでもな
ければ、どうして、自爆テロなどするだろうか。

安部政権も利権のために、、教育で子供たちを愛国心
名のもとで、平気で殺人を犯し、それを正当化する方法
を伝授」しようとしている。

戦前の軍国少年少女を再生産しようとしているのは明白
だ。

集団的自衛権=交戦権の行使=罪に問われない殺人犯に
なること」という方程式が、隠されていることを、今こ
そ見抜かなければならない。

憲法九条、特に二項を揺るがぬものとして、体を張って
護りぬかなければ、今の平和な日本を維持することは不
可能な局面だと言っても過言ではない。

ちなみに、私は、「死刑制度」そのものにも反対だ。

、その制度が、なんら、極悪事件発生の歯止めになって
いないのも、戦後の世相で、明らかになっている。

少年法を変えたり、厳罰をちらつかせたりして国民や青
少年を脅しても、殺人に匹敵する自殺は増えるばかりだ。

素朴に「殺すなかれ」を貫ける日本、世界、人類の覚醒
を、ひたすら望むばかりだ。

小田嶋保子 65歳 無職
花巻市 下幅 4−10 
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電 0198−24−5213