ばん茶せん茶への投稿です

娘の一言

久慈に住む娘から電話があった。
「もしもし、今、御祭に来ているけど、テレビ中継があるから見て」と。
「お父さんが出かけているので、テレビ、つけれない。」「なんで?」と娘はいぶかる。
「だって、おかんは、地デジのリモコン、操作できないもの、テレビも見ないし」と私。
なるほどと理解した彼女は「じゃあ、録画する。DVDある?」
私は、はてなマーク。
それも納得して、彼女は話を続けた。
「タッ君(校1になる、障害児の孫)も出るけど、写らないと思う。」
更に、娘が小学校の時、新卒で担任だった先制(我が家に来ては「教師とは」を語りあった方で、今は校長になり、ゆき届いた学校作りに取り組んでいる)が、祭りに出るとか、
ブラスバンドで楽器を吹いている中2の孫娘は明日のパレードの練習で今日は出ないなど、
弾んだ声で話をつづける。
「またいつか遊びに行くから。おかんは元気になったからね」とつげた。
娘の一言「二人とも元気でいてよ」
これは、私2はこたえた。
熟年夫婦の例に漏れず、私達も、意志疎通が上手く行かず、
それに加えて、全盲と晴眼者の「思い」の食い違いで、
ばらばらな日常を送っており、
あわや「熟年離婚か?」状態が続いていた。
最近、やっと、互い歩み寄り、離解しあって「和解したばかりだった。
若い頃とは一味違った関係となり、
仲良く暮らし始めたところでもあった。
それまでは「一人で来れば良いよ」と味方をしていた子が
「二人一緒に長生きしてよ」と言う。
この年になって、また1つ子供の本心に気づかされた。
危機を克服したとは言え、
両親が仲良く、長生きして欲しいと願っていたという当然の思いに、心が及ばなかった事を、
今は、恥じて止まない。
うちとけあった今、我慢や気負いも無く私は安寧に暮らせるようになった。
振り返れば、私も両親が共に長生きしてくれる事を望んでいたのだった。
同じ願いを我が子が持たない筈がない。
娘の一言は「親心」を再び目覚めさせてくれるものだった。

小田嶋保子 62歳 主婦 花巻市下幅4−10
郵025−0068  電 0198−24−5213

2011年9月18日