歩く先々、障害だらけ。私たちは世の中の 障害なのでしょうか?
雨の晴れ間に早朝散歩に出かけてきた岩手の小田嶋です。
花巻神社(護国神社」の祭りのしめ縄張りに出ている人たちの声が、早朝にもかかわらず響いていました。
家からでたそうそう、消火栓に思いっきりぶつかりました。
太ももでしたが、涙がでるほど痛かったです。
その痛みは、当然のごとく我慢できました。
その後、路地、路地で迷い、何度か手助けしてもらいました。
こんな路地は、数限りなくあるのですが、その度に迷います。エスコートゾーンは付けてもらえる訳もないのですが、単独歩行には、盲点だと思います。
音声信号は、6時半前にはほとんど聞こえないくらい小さくしています。
目印が消えたことになる訳です。
誘導ブロックが行方不明になって、白杖で、どこかにあるはずの転じブロックを必死で探す時の心細さ、見かねて、声をかけてくれる人が神様のように見えます。
続いている筈の誘導ブロックを歩いていると、水溜りにぼちゃんと足を突っ込んでしまい、水溜りの中を、ジャブジャブ歩くはめになります。みんな、避けてとおるのですが・・・。
長靴を履いて出かけようと思ったけれど、晴れているので、それを覚悟で出発した次第です。
だから、玄関には、ちゃんと雑巾を用意しておいたのです。
雨にぬれた草木に触り、着物はずぶ濡れですが、誰もそのようなことはなく、親しげに、楽しげに語り合っています。。
私は、文句も言わず、工夫し、我慢し、努力して歩くのだけれど
歩いている姿を見かける人たちには、障害者となり、
時には、そのための施設備を税金で整備してやらないといけない存在として、障害者ならぬ障害物なのかもしれないなーとつくづく感じた早朝散歩でした。
こうした細かい困ることを、めげずに、国や県、花巻市に要望していくつもりは変わりませんので、ご心配なく。
特に、路地、駐車場の問題は、全国的に取り組むべき課題だと思っています。
今、恩師が亡くなったという連絡がはいりました。
では、、また。