■平成27年度介護報酬改定に伴う関係告示の一部改正等に関する意見募集について
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■平成27年度介護報酬改定に伴う関係告示の一部改正等に関する意見募集について
小田嶋保子 66才)
電 0198−24−5213
意見
現在「介護難民、医療難民」という言葉が広く、深く定着しています。
高齢者は、弛まず働き続けてきて、最後は、寝たきりにならずに、ポックリ死にたいものだ、と心の底で思い、互いにそうありたいと語りあっています。
その原因は、老後が、安心して迎えられないとの不安の裏返しなのです。
誰しも、年齢を重ねれば、病気にもなり、けがもしやすくなるのは、道理なのです。
多くの高齢者は、認知賞にならないことを願っています。
しかし、私たちは、「生、老、病、死」という苦悩を背負って人生を歩いています。
その、苦悩を支えることができるのが人間という存在です。
仕事を通して「人の役に立ちたい、お世話をしたい。」という志を持って、看護し、介護し、栄養士などの福祉関係の資格を取得するのです。
難しい勉強にいそしみ、国家試験を手にした喜びは、ひとしおのことでしょう。
高い専門性を身に着けて、日々、生命と向き合うことに、誰しもが誇りを持っているはずです。
親を思う子の思いも同様ですが、そこには、肉親が故の甘えや、親密さがあり、時には埋められない不快溝が生じます。
そこに、専門家の支援が十分保障されていれば、双方ともに、肉体的にも、精神的にも充実した家族関係が成り立ちます。
ところがこうした在り方とは、正反対の制度が、現場の実態を虫して進められようとしています。
実際に(案)を読むと、その実感がはっきりします。
介護しだけではなく、その他の専門職の人々は、(案」でも言及しているように、相互に補助しあって、人間として高尚な仕事にたずさわっています。
(案」では、特殊な場合を除いて、基本的には介護しにのみ報酬単価が上げられるようになっています。
当然、不平等感は拭えません。
ただでさえ、所得の低さに悩まされているのに、「誇り」が傷つけられているのを辛抱して働いている人々は、我慢の限界を超えるのは当然のことです。
この報道を知って、職場をさる専門職の人々が増加しています。
おまけに、施設への報酬は、利益が上がっている、という理由で下げられることになっています。
ほとんどの施設は、人件費をまかなうだけで精一杯なのがこの日本の実態なのです。
(案)には、報酬は個人に渡るのではなく、包括報酬に組み込まれるようになっています。
今でさえも、低賃金のために人材が集まらず、ぎりぎりのところで、施設運営を強いられているのです。
(案)に記されている条件を満たすことのできる施設や病院があるとは思えません。
無理難題を押し付けて、最終目的である、介護を自治体に丸投げするための布石を敷いているとしか考えられません。
介護施設から追い出し、自治体にボランテアまで巻き込んで、国は、この大切な社会福祉から手をひいて、財政支出を逃れようと計画しているのが透けてみえます。
そこには、社会保障を後回しにして、つまり、乳幼児からお年寄りまで、を大切にするという国の最優先を否定する考え方が透けて見えます。
まして、なけなしの年金で、介護が必要となり、ぎりぎりで生活している高齢者から、居住費や食費まで徴収するとなっては、もはや、国としての体をなしてはいません。
人材不足の原因を検証することなく、安易に、海外から、人材を集めて、低賃金でも、喜んで働く人に、滞在許可まで出しています。
日本人として生まれ、日本人として安らかに氏を迎えたいと願うお年寄りに、他民族の人が、どれほど専門性を身に着けたとしても
介護を通して、寄り添うことはできないでしょう。
高賃金を望む日本人の専門家を追い出し、安価で働く他国の働き手に置き換えるとは、人生を通して生きるすべと知恵と知識を豊かに蓄えている高齢者を、「物」扱いすることに他なりません。
介護保険法を変更し続け、その度に、関係者団体から講義されてきても、
改善もせず、悪法ばかりに執着しており、それでは、ますます介護現場が、地域や家族を巻き込んで悪化していくのは、火をみるより明らかです。
エジプトでは、老人が一人亡くなると、博物館がひとつなくなるのに等しいと、老人を敬うと言われています。
財源に限りがある、という言い訳は、そろそろ止めにして、老いも若きも安心して住み、暮していれる日本にするために、まずは、この(案」をひっこめて、充実した人生を保障する(案)を出しなおしてはいかがでしょうか。