雨に溶ける

私は、雨が、ほどほどなら大好きだ。しかし、それは、あくまでも、情緒の範囲を出な
かった。押さない頃は、子ども用の、油紙で作られたから傘が、可愛いい模様で、美し
い模様が私を魅了した。ぱらぱらという雨のおともリズムがあって、音楽を聴くような
楽しさがあった。が音が激しくなると、一転して、恐怖感が私を襲った。こうもり
にかわっても、音色が変わっただけで、雨の日の学校帰りに、方に傘の柄を乗せてくる
くる回して、一人、歌を口ずさみながら線路を歩くのがすきだった。記者などは、数え
る程しか答辞は運行していなかった。鉄橋を渡る時は、線路に耳をつけて列車の来ない
のを確かめてから、足の運びより、気持ちの方が先んじて、その不調和で、不安と緊張
の塊だった。渡り終えたときの安堵感はなんとも言えない会館へと私を誘った。そして
また、のんびりと、母の待つ我が家に向かって歩をすすめた。あの時どんな事を考えて
いたのかはもう思い出せない。雨上がりの傘は、格好のおもちゃと化した。まだ道路は
舗装されておらず、道路脇のせきも草でしきられていて、不断は静かに田んぼからの水
が流れているだけの優しい存在が、突然、どうどと音を立てて重をまして、急流となっ
て走り去る、つい、傘を突っ込んで、流れと一体になろうとするけれど、水の力は、子
どもの私を意に返さず、私の傘を、あっと言う間に運び去ってしまう。そんなことを、
懲りずに、一体何本傘を失くしたことだろう。が、親に叱られた記憶は全く無い。そん
な風にしたしんできた私の半世紀、失明後、一人で歩けなくなり、悶々していた数年を
経て、念願の、自宅での白杖単独歩行訓練を受けられる機会にめぐまれた。そして、4
回の訓練の日はことごとく雨降りだった。自立したい一心は、雨など問題ではなかった
。無心に4感を総動員をして理に適ったルールをみにつけう訓練に没頭した。そして現
在は、その基本に応用を加えて毎日のように出歩いている。「今日は雨だ、でかけるの
か?」と暗に「止めたら」と言うのに耳を貸さず、雨のなかに、傘を方に乗っけて飛び
出していく。さぞや、理屈の分からない人には、「あれ、まあ」と移ることろう。雪は
降っても音はしない。まるで忍びのもののごとく地表をいっぺんさせる。其の点、雨は
正直物だ、窓のそとから、堂々と、「出ておいで」とよぶ。誘われて、私は、あの、し
っとりとした情緒に浸るこれが最近までの私にとっての雨だった。けれど、いちアメリ
カの小規模農業を家族で営む青年が、我が家にホームステイをして、彼の、大地への愛
情後生命を育む大地への慈しみは、雨という、天の恵みを相棒として受け止めていた。
私の「雨が好き」と彼の「雨が好き」は全く異なっていた。あめの恵みを補うために、
スプリンクラーで農地に水を与えているので、彼の畑は、丸いのだそうだ。日本では考
えられない光景だが、砂漠化した地では、よく見られる光景だと、それ以来認識できる
ようになった。彼はアメリカの大規模農業に対抗して、無農薬、有機栽培で野菜をそだ
て、肉牛をそだてている父親を尊敬している。米国政府はとんでもないけれど、かれの
ように、知り合ったアメリカ人は個人、人間として、共感し会える若者達だった。イギ
リスもオーストラリアもカナダもアイルランドスロバキアの人々はそろって暖かい善
良な人たちで、みな「戦争反対、平和主義者」であった。世界中、国家と庶民の感覚は
、かなりずれているのがよくわかる。ところで「雨に溶ける」の溶ける」は何の事かと
いうと、障害のある友人とその健常者の夫君との会話にでてきた言葉だ、夫君は、マラ
ソンと早朝ジョギングで体を鍛えている、だから、少々の雨でも、ずぶぬれになっても
走り続ける、そして、彼女に「俺は、雨には溶けないよ。でもあんたは、雨に当たると
すぐ溶けるんだから、出歩くなよ」というはなしを聴かされたとき、「ふーむ、確かに
どんな障害者でも、障害だけで済む人は少ない。みんな、口を揃えて「私は、病気のデ
パートなの」と言って、私も含めて、落語の「ぞろぞろ」ではないが、後から後から、
聴いた事も無いような病気に見舞われている。なぜだろう?やはり、障害を有している
が故の「生き難さ」によるストレスが、体の奥底で、いじいじと根をはっていて、大事
な「免疫力」を弱めていて、病気が入りやすい「すき」を無防備にさらけ出しているか
らだろうか?他は分からないけれど、少なくとも私と、友人二人はそうらしい。つまり
「雨に溶ける」のだから、「アメニモマケズ」ではなく「あめには溶けない」心と体作
りを、そろそろ、老境に入りつつある私達の課題のようだ。  (終わり)   これ
は、昨日書く予定のエッセイだが、時間を生み出せずに一日を、終えてしまったので、
「時にかなわなかったけれど、美しい日々」にしたかったので、早起きして、やっとこ
さ下記上げた次第だ。今日もこれから、一日出かけるので、見直しもせずに掲載する。
後日手直しする予定ではあるが。