痛いとこ痛いとこ飛んでいけ

痛いとこ、痛いとこ、飛んでけー
私は子供の頃から生傷が絶なかった。視野が狭いせいもあるが、本来の慌てん坊に由来
する報が多い。見え難くなってからは、見るふりをして、無理を重ねて過ごしていた時
期もあり、「蟻さんと壁さんがごっつんこ」状態が長く続いた。退職して、家で過ごす
ようになると「勝手知ったる私の家」とばかり蝶の様に飛び回っていた。ぶつかるのを
防ぐ手による守り方を習ったが、長続きなどしない。無防備に前かがみになったり、立
ち上がったり、不用意な動作で傷だらけの人生には未だピリオドがうてない。単独で歩
き始めの頃は、側溝に落ちる、電柱にぶつかる、ひっかかって転ぶなどで、傷とたんこ
ぶだらけだった。その痛さは、例え「宿命」とは言え、耐え難いものがあった。そんな
時、「土地のみをしょうちゅうに漬けて、寝かせたものを塗ると、痛みはすぐ取れると
してそれを分けてくれるともがいた。不思議な事に、「痛い痛い所痛い所飛んでいけー
と、昔母がつばを塗りながらやってくれた時のように、さっと痛みがきえた。病み付き
になり、その薬はすぐ無くなってしまった。今では外歩きで怪我をする事は無くなった
が、屋内での怪我が増えた、それを見かねた友人の夫君がいつも出入りしている山か栃
の実を取ってきて、細かく割って、届けてくれた。それが、今、成熟して、使い時とな
った。ぶつかる度に小分けして、ガーゼに浸している栃のみのエキスは、必ず、痛さを
じっと我慢している私を「ちちんぷいぷい、痛い所飛んでいけ」ーっと言う優しい母の
声が聞こえてきて、提供者の力強いパワーが加わって、本当に痛みは何所かに飛んでい
ってしまう。医学ではそうしたことを、何とか効かと呼ぶらしい。そこには、化学でも
照明されたらしい。自己防御とは言え、そこには、母や友人の「慈しみ」があってこそ
の「飛んでいけー!」なのだ。さて、私は、子ども達にどう接してきただろうか?。