かたつむりとエスカルゴ

かたつむりとエスカルゴ

 視力を失って、私は、二次元の世界で暮らし始めざるを得なかった。

自分の暮らしぶりが、「かたつむり」と一緒と気付くまで、何と遠い道則だったことか!

子供の頃は「でんでんむしむし、かたつむい・・・。」と歌っては、揺れ動く葉っぱの上で、じっとしている姿を、なにげなしに見ていた。ところが、そのカタツムリが、樹木の幹を、これまた、何の苦もなさそうに、上へ、上へと上っていく姿に出会った時、「あれっ」思ったことがあった。

「直線、平面」でしか移動できない生物らしい、くらいは、分かったつもりだった。

梅雨を迎えて、あちこちの発破に、カタツムリが、姿を現していることだろう。けれど、もはや、この目で。彼らと出会うことはない。

彼らは、そんな私とは無関係に、ずっと、この世界で、生存し続けている。それも、「不便だよー!」などと、叫んだり、ののしったりなどは、決してしない。すごい事だ。

「直線、平面」での生活になって以来、十数年。「つらいの悲しいの」と不満を、自分の内心に突きつけては、「赤い血」を流し続けてきた。

最近、ラジオで「でんでんむしむし」の歌が流れた。ふっと、あの時のかたつむりが、目に浮かんだ。

人間には、「突然、気付く」瞬間があるらしい。私にも、それが、何度かあった。

そして、トラブル続きと、熱中症気味の「ぼー」とした頭が、その瞬間を捉えた。

「そうか、私は、二次元の世界で、人生を、再スタートさせていたのだった。だったら、彼らのように、辛抱強く(?)自分の人生の平面を、隅から隅まで、嘗め尽くして、最後に「光の世界」に昇天しようではないか。と「悟った」(?)。ような気がしている。

「縦、横、高さ」という空間で、人として、真っ当に生きている三次元人は、どれ程いるだろうか?考えてみたら、そう沢山はいない。

フランス料理のように、焼かれて、香味を沢山詰め込まれて、もしかしたら、息さえできないまでに、飾りたてられて、「エスカルゴ」とか呼ばれて、高級品にでもなったつもりの人が、実に、多いではないか。

美しく、おいしい「エスカルゴ。これを食するのは、フランスでも、一般の人々ではない、と聞いた。

日本人は、海外に行くと、贅沢な食事つきのレストランに入るのが、常だ。が、それは、どこまで言っても「幻想」であって、庶民の口には、そのような贅沢品など入らない。

とすると、この、二次元の生活のほうが、人としての行き方の内で、案外、「地に足を着けた」生き方かもしれない、と「無意識下」で確信したらしい。

「かたつむりとエスカルゴ」、わたしは、「かたつむり」で、構わない。