ばん茶せん茶への投稿です
タックンのオカラン
約15ネンマエ、私の初孫としてタックンが産まれた。
娘は、里帰りして、我が家で、私の亡母と母親である私に寄りかかり、幸せな人生の休暇を満喫していた。
タックンが産まれ、娘は、私がそうした様に、実家で、ぬくぬくと産後を過ごした。
何でもできた母の手助け無しには、してやれなかった事ばかりであった。
生まれたてのタックンを、まだ視力の残っていた私は、この目で見る事ができた。
その後数年の、愛らしいタックンの姿は、脳裏に焼きついている。
暫くして、タックンの様子が変だと気付き、娘夫婦共々、障害を受容する道を歩む事となった。
私も、娘も息子も、視覚に障害を有して産まれたのだから、亡き両親は、さぞかし心残りであったろう。
私の失明と同時に、タックンのための「世の中造り」の模索が始まった。
日とが不思議がる程、私は、「私亡き後、娘亡き後のタックンの生きられる道」を探求し続けた。
そして、やっと、「総合福祉法制定」という光明が見えてきたところだった。
しかし、時は、人を、待ってはくれない。
先日、タックンが、我が家に立ち寄った時、久し振りにタックンの顔に触ってみた。
髭が生えていた。
声変りも終わっていた。
体も大きくなり、腕力は、人並み外れて強くなっていた。
どんどん成長していく障害児を育ててきた娘夫婦は、「制度の成立を、当てにして待っている事ハできない」と踏んで、自分達の力で、息子を支える方法を考えていた。
それが「おからん」である。
山形大学と共同して、無農薬、有機栽培の南部の大豆を使用したおからを使って、無添加で、
高蛋白、低カロリーのパンを開発した。
タックンが卒業する頃までに、生産を軌道に乗せようと頑張っている。
安全安心の食品に仕上がったようだ。。
未だ海の物とも山の物とも分らないが、成功を祈るしかない。
その為にも、母として、祖母として、子ども達の未来を保証してくれる制度の成立と実現をめざして、頑張らなくては、と、身が引き締まる思いだ。
小田嶋保子 63歳 無職
郵 025−0068 花巻市下幅4−10
電0198−24−5213
2012年2月10日