ばん茶せん茶への投稿です

あばばば
事故の後遺症か、自室にこもる日々が続いている。大抵は耳での読書をして過ごしている。最近、アメリカの若者に、「アクタガワ」が読まれているという。地球上には、多くの価値観が存在している。三陸津波の被災者の魂は、それらによって、癒されつつあると言っても過言ではないだろう。欧米文学の根底には、キリスト教の「原罪」と「救済」が横たわっている。作家芥川は、それと、日本人の宗教勘を対比させた作品を描いている。「あくたがわ」を通して、アメリカの若者達は、異文化に、触れたがっているのだろう。六十年代のヒッピーと呼ばれる青年達が「禅」に魅了された傾向に、よく似ている。当時、友人もそうであった。彼は、障害児を授かった。時を経た今、「悟った」の便りは耳にしていない。お互い、のんきに、老後を、謳歌できない世代に産まれ合わせたらしい。現代の世相に翻弄され前途に光明を、見出せず、悶々とした心持で、芥川の作品を読み始めた。やがて、「あばばば」という短編に行き当たった。母親になった女性が、周囲を気にすることもなく、我が子を「あばばばばー」と、あやしている、という内容だった。それに接した瞬間、亡き母の姿が? "$/$C$-$j$HG>N"$K!"AI$C$F$-$?!#B9C#Fs?M!"$RB9C#Fs?M$rJl$O!"4i$r$/$7$c$/$7$c$K$7$F!"!V$"$P$P$P$P!pI=8=$=$N$b$N$@$C$?!#;d$,;:$^$l$?O;==M>G/A0!"Jl$O!"$-$C$H!"$"$N$h$&$K$7$F!";d2愛情を、注いでくれたことだろう。「あばばばバー」とともに、母からの「呼びかけ」が闇を貫いて、届いたような気がするそして、私にも「母性」はあることを、思い起させてくれた。初老からのスタート時点で、障害の壁を克服し切れず、戸惑っていたけれど、「母性」という母からの呼びかけに、応えつつ、歩んで行ったらいいのだろうか、とも、思うようになっている。

小田嶋保子  63歳 無職  
郵 025−0068  岩手県花巻市下幅4−10 電話0198−24−5213


2012年2月29日午前11時45分35秒