論壇への投稿です

障害者総合支援法案に思う。「私たち抜きに決めないで」と

先日、日報の論説に、政府の新法案への、鋭い批判が掲載された。

我が意を得た思いであった。

根本に、「国連の障害者権利条約」(日本は、署名済み)の批准がある。

日本は、「子供の権利条約」を批准したが、何回も、国連から、警告を受けても、子供達の環境は、悪くなる一方である。

障害者の権利条約が、そうならないよう、訴訟を起こし、司法の仲介で和解に至り、国と障害者の間で、合意文書を交わした。

それに沿って、推進会議、総合部会が持たれた。

全てネットで聴いた。

出かけるだけでも大変な障害者が、35回、18回と、全国から、思いと願いをこめた資料を持参して集った。

それが、いかに、障害者にとって、困難な事か、自身、障害者ゆえ、身を削る思いで聴いていた。

あの声々は、氷山の一角である。

多様な意見を長時間かけて、佐藤部会長は、骨核提言をまとめた。

そこには、合意文書のみならず、こもごもの「人間として、社会が、自分達を認めて欲しい」がぎっしり詰まっている。

新法を受けて、条約を批准すると、それに違反する既存の法律は、改正されるか、廃止される。

条約とは、憲法の次に、規制力がある。

現在は、条約批准に向けて、「差別禁止部会」が行われており、骨核提言をめざして活動している。

とても難しい課題である。

岩手県は、その条例を決めた。

更に、岩手県議会は、国に「意見書」を上げている。

全国の県、市町村では、100の自治体が同様の意見書を上げている。

これからも、続々上っるだろう。

しかし、この果実は、黙っていては、結実しない。

声を上げられる障害者自身が、消されてしまっている声無き声を聴き取り、周囲の理解を深めつつ、「忍」の一字で取り組まなければならない。

この好期を逃せば、冬の時代が来るだろう。

また、いつか、春は、巡りくるだろうが、それは、遠い。

今、生きている障害者にこそ光を当てたい。

私自身、中途失明者、二人の子供も、いずれ失明、孫の障害、それに関わる娘夫婦。更に、視覚障害の友人達、そして、私が、教員時代の教え子達の何人かが、障害児を抱き、七転八倒の人生を強いられているからである。

最近、母親亡き後障害者が餓死するニュースを頻繁に耳にする。

それらは、自己責任ではない。

が、自己責任論路線は、このままでは変わらない。

私がやれる事ハ、ちゃんとした新法を作らせること。

実のある条約批准に辿り着かせる事、である。


小田嶋保子 63歳 無職
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