障害児、紗の生まれる権利
障害児(者」の産まれて生きる権利
詳細は聴き逃したが、「生まれてくる赤ちゃんがダウン症かどうか見分ける事が可能になり、産み分けができる」らしい。
小宮山厚労大臣は「生命倫理に関わるので、自主規制を」と語った。
私は生まれつき進行性の病気で全盲となった。
娘も息子も同じ病気で産まれた。
孫息子は障害児として産まれた。
いとこの長男は自閉症。
友の子はダウン症。
私も含め、多くの障害児、者は避られない宿命を負って生きている。
本人も親達も筆舌し難い困難を必死で「人間らしく生きたい」と願いこの世で暮らしている。
障害者福祉は、「国の措置」から「選択制」に変わった。
「自己決定」が可能になった。
奴隷制度は廃止され「市民権」を獲得した。
国際障害者年依頼、障害者にも「生きる権利」は有り、保護や恩恵を受ける存在(自己責任論から
社会で障害を配慮され健常者と平等に生きる権利を有し、
「自分の意志で生きて行って良い」まで人類は進歩した。
障害者はやっと「隠される者」から「表に出て、働いても良い」時代になりつつある。
世界は「人権宣言」をへて、今や「国連の障害者権利条約」を多くの国々が批准するまでになった。
国家の最優先の役割は「人権を護る」社会保障、福祉であり、障害者福祉も含む。
日本政府は、「自分で施設や、様々な福祉サービスを選べる」制度に変えた。
然し、それらは、全て有料である。(自立支援法という)
多くの障害児者は負担し切れず、また施設の報酬も「日割り制度」で運営は一層苦しくなった。
全国で裁判が起こされた。
政権交代で和解に至り合意して、新法を作る事になった。
障害者の思いのたけを出し合い、まとめた案(骨格提言)が政府に届けられた。
然し、提出され、成立した法律(障害者総合支援法)は、「思いのたけ」を反映したものではなかった。
各地から抗議声明が上がった。
障害者の長年の「人間としての要望」を実現するには、日本が、権力闘争を脱して、福祉国家になるまで、選挙を通し、声を上げ続けるしか無い。
それは良い。
どんなに辛くとも頑張れる。
然し、これから先、母親の胎内で、障害の有無が分り、障害児なら産まない選択が出来るとなると、
これは「産む自由」ではなく「産まれる自由」の否定である。
「障害児、者の存在の否定」である。
障害者、高齢者が存在してこそ、知恵や工夫、助け合い、
そして人間としての「優しさ」が生まれる筈である。
そうあってこその人類ではないのか。
小田嶋保子 63歳 無職
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