最近のエッセイ(日傘)季節が終わってしまい新聞には載りませんでした。

日傘


数週間前、じりじりする日差しの下、「日傘はどこでうっているの?」と友人に尋ねた。

「日傘ねえー、見当もつかないなー。家にあるかもしれないから」と言って友人は車を発
信させた。

用事を済ませて、帰宅すると、友人から日傘が届けられていた。

いつも、心配りいは、感謝である。

働いていた頃は、化粧もしていたし、それなリの身なりもしていた。

仕事を止めてからは、化粧は一切しない。

親譲りか、肌は結構ピンとしている。

然し、今年の日差しの強さには負けた。

子供の頃、母は、夏になると、いつも、白い布で水色の線がスーッとひかれている日傘を
差していた。

「どうして雨も降らないのに傘をさすのかな?」と、ずっと疑問だった。

だんだん視力が落ちてきて、歩きにくくなった頃、私は、雨も降らないのに、大きなこう
もり傘を杖代わりに毎日持って職場に通った。

なかなか白い杖は持てなかった。

見えなくなって、やっと覚悟が決まった。

自宅周辺の、白い杖での歩行訓練を受けた。

そこには、ちゃんとルールがあった。

今では、遠イ所まで、沢山の人々の手を借りながらも出かられる様になった。

けれども、いつまでも続く強い日差しに耐えられず、母を思い起こして、日傘を使う事に
した。

有り難味を感じる。

日傘をいただいた頃は、もう今年は使わないだろうと思っていた。

あれから毎回、日傘は、私のお伴となった。

その日傘は、黒いレースでできているという。

なんだか、おすましして歩いている気分。

周りの様子が分からない私は、東京にでかけた際、誘導の駅員さんに尋ねた。

答えは「最近、若い人たちが、結構日傘をさしていますよ。」だった。

母の時代から何十年も経って、未だに日傘は、おしゃれも兼ねてその役割を十分果してい
た。

私も「何か残したいなー」と思案しつつ、日傘を差して歩いている。