さくら、桜そしてさくら

さくら、桜そしてさくら
桜前線がやっと近付いた。なんと長く待ちわびたことだろう。

厳寒の冬は去った筈なのに寒談の差が激しく何度となく冬に引き戻された。寒さが続く
なら体は寒さに慣れるのだが、時折温かい日が訪れる。

そんな不安定な気候の下、放射能に汚染された環境の下、桜はつぼみをつけ、間もなく
開花する。


成人になって以来、あの桃色の花を咲かせる樹木を「桜」と呼んで来た。

美しく着飾った満開の花はまさに「桜」なのだ。

幼い頃、その樹木は単に「さくら」だった。

お絵描きでも桃色で花を塗った。

さくらの木の下で近所そろってござを広げ、持ち寄りの重箱から飛び出すご馳走に、我
先に手を出し、かぶりついたものだ。

サーカスはさくらの満開時にやって来た。

さくらをそっちのけに出し物に見入ったものだ。

中学も高校も、さくらは咲いていたのだろうが、さくらは記憶には残ってさえいない。


夫と出会った日は「桜」が満開だった。その樹木の花は着飾って美しく見えた。

家族が増え、子供達と美しい桜を愛でに何度も出かけた。

父も母も加わって楽しい桜見物が出来た。

やがて子供達は巣立ち、両親も旅立った。

だんだん視力を失っていく私は、毎年桜に会いに連れていってもらった。

やっと視野に入った桜に感動もした。

暗くなって電灯の下の桜の枝を引き寄せて夫は何とか桜が視野に入るように努力してく
れた。

運が良ければ、ちらりと見えることもあり、それが脳内で満開になり満足していた。

この十数年、数限りない人生の危機に見舞われた。

苦しい心を振るい起こすためにも桜に触れることが必要だった。

あの樹木の着飾った花を桜として見て、内心を着飾る自分がいた。

しかしとうとう私は疲れ果ててしまった。

その樹木も厳冬に耐え、春とも呼べない不安定な気候にも耐え、やっと花開く時を迎え
た。

もはや無理をしないで、ただの「さくら」になるんだと言われた気がする。


いつの日か誰かに人生を空け渡す折は、「さくら」のままで、と思えるようになった。

2013ねん4月16日