岩手日報、論壇に掲載されました。

真の国際人を育む教育を。

文科省は国際陣を育てるとして小学校に英語を四年生か
ら時間数を増やして義務化するという。

子供の人間性の育ちを無視した発送である。

先日公園のブランコにたどり着きたく、知り合いの小学
五年と二年の少年少女に尋ねた。

全盲にとって公園は目印が無い為苦手であり、憧れでも
ある。

二人は私の願いを理解して、どのようにすれば一人で公
園の真ん中にあるブランコにたどり着けるか暫く考えて
いた。

彼らは持ち合わせの日本語をくしして、懸命に教えてく
れた。

自分の目の前に広がる風景をどうやって伝えるか、これ
は難問である。

ここ、そこ、あれ、あそこ、あっち、こっちは分らない。

目印になる物の固有名詞を伝えなければならない。

消火栓、二つ並んだベンチ、方向先、ブランコの一部の
名しょう、金網の呼び方、など。

彼らはたいそう苦心して遂にブランコに私を導くことに
成功した。

沢山ある入り口で、どこが一番たどり着き易い箇所おも
考察し、

木のネッコなど邪魔物のある箇所は避ける様にと助言し
てもくれた。

私の頭の中に、言葉と実体験でブランコへの地図ができ
あがった。私は元英語を教えていた。英語を母語とする
知人はたくさんいた。彼らとは、哲学的な深いところま
で語り合えた。

私自身、日本語を母語として深く物事を考えられる大人
になっていたからできたことであった。

これから日本語で思考力を身につけていくべき柔らかい
頭に、

挨拶やうわべだけの英語を刷り込んで、

どうして国際人になりえようか?

国際競争に勝って利益を上げる手段として英語を持ち込
むのは、愚の骨頂である。

日本語で本をたくさん読み、表現力をつけ

「人生とは」と自問自答できる日本人をこそ育み育てる
のが大人の役割であり、

教育の本質でもある。

人類の英知である、あらゆる分野を子供達の前に広げて
見せ、体験させ、本人の興味のある分野に導くことが大
切であって、

外国語(英語?)はほんの一部の分野でしかない。

外国語とは、まさに民族の言葉、民族の文化そのもので
ある。

それをぬきに学校教育における外国語教育は、在りえな
い。

母語を確率した上での語学学習は楽しいものである。

それは、決して苦役ではない。

私を、懸命にブランコに導いてくれた子供達の真剣な自
ら努力する姿が、それを実証している。

教育制度を考えると、

そろそろ「架空の国際化」ではなく

「人間として心豊かな真の国際人」を目指す方向に、

舵を切るべき時ではないだろうか。


小田嶋保子  64歳  無職

郵  025−0068花巻市下幅4−10

電  0198−24−5213