ばん茶せん茶への投稿です。

幸福を呼ぶ樹


65才になって看護師の仕事から解放された妹から電話があった。

「ひしゃげていた幸福を呼ぶ樹を買ってきて心をこめて世話していたら、とっても元気
になったのよ。

だからもう1つやー(妹は私をこう呼ぶ)のために幸福を呼ぶ樹買ったけど、いじけて、
ひしゃげていて生き帰るかなーと不安に思いつつ数日世話したら、とっても元気になっ
たので、やーの樹として育てるわ。」と言う。

障害や怪我、病気に取り付かれ、夫婦共に老境に入りりつつあり戸惑っていて「幸福と
はなんぞや?」と苦悶していた矢先だった。

それがきっかけになれば嬉しいなー、とは思っていた。

中途失明で文字を失い、点字と音声パソコンをマスターしていた。

しかし、音声パソコンはしばしば音声が出なくなるという事件を起こす。

音の出ないパソコンはただの箱でしかない。

あれこれやってみても、どうにもならない。

夫はパソコンはしない(ワープロ派なのだ)。

途方にくれて落ちこんでいる妻を見るに見かねてか夫は私の目になってマウスで試みて
くれた。

やはり音声は出ず、その晩は諦めた。

翌朝奮闘している妻の姿に心を動かされたのか、夫は本気で取り組んでくれた。

遂にパソコンから音が出た。

天にも登る思いだった。

溢れんばかりの喜びと感謝の気持で一杯になり夫に抱きついていた。

失明しても、周りは白っぽく見えているような気がして恐くはなかった。

ところが、パソコンがただの箱になった時、本当に目の前が真っ暗になった。

その暗闇から救い出してくれたのが長年連れ添った夫だった。

二人の気持が何年ぶりかで一緒になったと実感した瞬間だった。

夫へのわだかまりがすーっと消えた一瞬だった。

見失っていた本来の自分に戻れた。

以来、二人の生活に笑いや冗談も戻ってきた。

いじけて、ひしゃげていた自分から解放され、生きようという気力が自然に沸いてきた。

きっと、妹が育ててくれているあの樹が「老後の幸福」を呼んだのだろう。

この幸福、離さないぞ!