ばん茶せん茶への投稿です。

花音(カノン)ちゃんのバラ
昨年5月に息子夫妻に女児が誕生した。

二人の思いをこめて「花音」と名づけられた。

夫と私は、彼女のイメージに合うばらの鉢植えを購入した。

早速記念樹として我が家の庭に植えた。

咲き誇っていたバラは、秋には枯れ、ひと冬、雪の下で春を待っていた。

我が家の庭は、時折訪れる母の手によって、草花が絶える事なく花を咲かせていた。

見えていた頃は私も球根を植えたり挿木をしたりなどして花を愛でていた。

時が経って、母は亡くなり、私は失明して、早や17年になる。

見えない花に興味を失い、花壇の手入れもできなくなって久しい。

それでも母のバラは、風説に耐え、けなげにも咲き続けていた。

しかし一昨年精魂尽きたのか、とうとう枯れてしまった。

そんな淋しい折り、花音ちゃんがこの世に生命を得た。

迷うことなく、枯れた母のバラが植えられていた箇所に花音ちゃんのバラを植えたのだ
った。

今年は天候不順で「つぼみもつかないなー」と夫に聴かされていた。

「そっかー」とあきらめていた矢先、バラが咲いたと知らされ、喜び勇んで庭に飛び出
した。

白い杖も持たずに。

検討をつけ手探りで捜しまわった。

木の根にひっかかって腐葉土に倒れたり、石に躓きコンクリートに仰向けに倒れて、頭
をうったり、体中傷だらけになった。

隣家の周りをうろうろしていて助けられ、おずおずと我が家に連れて帰ってもらった。

翌日、今度は白い杖を持って捜し、守備良く見つけた。

母のとは違って、バラの木は小さく可愛らしい、が、花は堂々と咲いていた。

翌日も会いに庭に出た。

少しかさかさし始めている。

ふっと思った。

「人は時に適って美しい」と。

これは母の好きな言葉だった。

そうか、花音ちゃんのバラは、これから先、何年も花を咲かせる潜在力を持ているのか。

とすると、祖母たる私には、花音ちゃんたちのために、戦争の無い平和な国を護るべく
もう一花咲かせる役目があるのだ、と気づかされるのだった。

小田嶋保子 66サイ  無職

花巻市 下幅 4−10

郵便番号  025−0068

電話番号  0198−24−5213

ばん茶せん茶への投稿です

朝子せんせ
「人間の壁」(石川達三著)を再読しました。
戦前からの「綴り方教育」を継承しながら戦後の民主教
育を情熱と信念を持って、撃ちたてようとする普通の先
生達の物語です。
佐賀県の教職員組合の休暇闘争を通して、ある女教師が
、子ども達が自分で考え、
共に民主的な社会を担える人物に育って欲しいと願いつ
つ、
貧困や権力からの圧力に負けないで教育という仕事に目
覚めて行くのです。
読んでいて小学校の5,6年生の時の担任の朝子先生を
思い出していました。
朝子せんせは、どっしりした笑顔と、いつも、うわっぱ
りとずぼんをはいていました。
当時、私たち子どもは、遊びも勉強も強制されたものだ
とは思っていませんでした。
みんな、自分達で考え出してやっていたとずっと思って
いました。
しかし、思い起こすと、
ドッジボール、縄跳び、雪合戦、古い木造校舎の掃除、
ボットントイレの窓拭き、グループで大きな用紙に描い
た風景画、
特別編成の合唱隊の隣町へ遠征(歌った歌は「雲を呼べ
ば」でした)、遠足でリュックサックを背負って稲を乾
燥させた匂いやバッタの跳ねとぶ田んぼ路での道草をし
たりしても、
いつも、いつも朝子せんせは笑顔で見守っていたっけ。
私達悪がきどもが、放課後でも休日でも安心して行動で
きたのは、並々ならない先生達の努力の賜物だったので
した。
それから数十年、私達は平和と民主主義を愛し、真理を
探求しつつ大人となり、今では前期高齢者になってしま
いました。
ふつつかながらも、私は民主教育の申し子として、女教
師として、母親として子ども達を愛し、育ててきました。
そして今日に至って「人間の壁」が描かれた時代に戻り
つつある事を身にしみて感じるようになりました。
教育勅語など知らない私達の世代が育てた現代の世代、
もっと若い世代に
「一人一人の人権」を護って行きましょうね」(憲法
三条)と、しっかり子ども達に教えて下さいと、
引退した身として、願うばかりです。

小田嶋保子  66歳 無職
花巻市 下幅 4−10
郵 025−0063   電  0128−24−5
213

論壇には載りませんでしたが読んでみてください。感想もどうぞ。

「平和のための戦争」 はごまかしだ


安倍内閣は22日安全保証関連法の施行日を29日と定める政令閣議決定した。

安倍首相はわが国の平和安全を一層確かにすると語った。

防衛賞は29日までにpkoの任務で武器使用に関する訓令を改正又は制定するが内容は武器使用は防衛秘密に
なるので公表しないという。

遂に平和のための戦争という矛盾に気付かぬふりをして利権を貪る政権の姿を剥きだしにした。

歴史上戦争で平和になった事があっただろうか。

平和とはこの世に命を得たものが自然に命を終えられる事を意味すると人類が気付いたというのに。

先達は戦争の愚かさを後世に伝えるべく作品を残した。

二十四の瞳戦争と平和など沢山ある。

国家ではなく個人の幸福を最優先する若い作家は戦争の悲惨さを調査し、旺盛に書き繋いでいる。

最近読んだ「やぶれかぶれのオロ氏」(筒井康隆著)では、連合国と密約し、平和のための戦争」とごまかしてい
たがろぼっと記者に矛盾を指摘されてもごまかし、理解不能となったロボットは全部壊れてしまう。

戦争で設けようとするオロ氏は本音を言わされ脳卒中で死ぬ、歯をき出したままで。

安倍首相そっくりだ。

事前承諾を事後承諾とごまかし、核と軍隊は抑止力とごまかす。

委員会の採決まで審議中継を注視していた人々はごまかしに気付き、戦争法反対の声をあげた。

29日以降の実施を断念させるためにも声を挙げ続ける事が急がれる。

小田嶋保子  67歳  無職

花巻市 下幅 4−10

郵  025−0068

電  0198−24−5213

ひととせへの原稿です。 誤字脱字はそちらで訂正お願いします。 出来立てのほやほやです。読んでみてください。 感想もお願いします。  もんちゃん、ありがとうございます。

他国の言語をもてあそんではいけない。

小田嶋保子

見えなくなってから、互いの情報のやりとりは、触れ合うこと、声で伝えあうことしかなくなった。

点字の読み書きができる者同士は、点字を通して意志疎通はできる。しかし、それは限られた者でのやりとりで
しかない。

点字、音声パソコンをなんとか使えるようにはなったけれど、直接意思疎通は相手の発することばつまり音声に
頼るしかないということになる。

人は、自分にとって必要がなければ音声を発しない

相手が必要としていることを理解する人は少ない。

たとえ、五感を駆使しても、眼前で起きていることを認識しきれない場合の方が多い。

その結果、発せられることば(言語」には自ずと敏感にならざるをえない。

小説など、言外の意味を汲み取ることも、読む者の年齢や感知力にもよるが大切なことであり、点字や音声図書
の利用を手に入れた者にとっては、他と変わるものではない。

他国の言葉でなにがしら、気持ちを伝え合っている場面(映画やテレビなど)に遭遇すると、日本語文化とは異な
った他国の文化の存在に思いをはせ、伝え合っている言語を手に入れたくなったのは、余程前のことである。

あくまでも、言葉の持つ未知の世界を知りたいとの思いからの出発であった。

当時の時代背景として、当然英語が主流であった。

艱難辛苦を経て、英語は母国語並みとなって我が身に住み着いた。

願望は果てしなく広がり、成就した訳ではないが、数ヶ国語に挑戦し、ある程度その国の言語で気持ちを通わせ
ることもできるようにはなった。

残念ながら、他国後を話す隣人に恵まれず、カビが生えかけてはいるのだが。

もっと残念なのは、見えないばかりに、相手を認識できず、こちらから声をかけることが不可能であり、おおく
の機会を失ってきたことである。

日本は米国の属国化して久しい。したがって、英語を話すようにと、日本が挑戦や中国にそうしたように強制さ
れたかというと、決してそうではない。

欧米文化にかぶれ、第3石の文化や言語には見向きもしなかったのは確かにそうであったけれど。

数年前までの日本人は「英語は話せない」というのが普通であった。それで不自由もなかった。

ところが、ちらりほろりとカタカナ英語が一般のマスコミに顔を出し始め、遂には国会でも英語?が登場するよ
うになった。母親の世代は「何がなんだかさっぱり分からない。日本人なら日本語で話しなさいよ、本島にねー
」とぶつくさ文句を言っていた。

時を経て、現在はどうなっているだろうか。

パソコンが普及したせいもあるだろうが、とんでもなく醜いカタカナ英語ではなく英単語が我が物顔にマスコミ
はおろか国会や若者たちの会話にも登場しまくっている。

米国の職人地にでもなりたいのか?と首を傾げたくなる。

パソコン用語ならしも、経済の専門用語が議会の中で飛び交っている。

専門用語など、日本語でさえ怪しいというのに、英単語を日本文に混ぜ合わせて、視聴者が、分かろうが分かる
まいがどんどん進んでいく。

開いた口がふさがらないとはこのことだ。

それほど自分が英語に通じているのを見せびらかせた意のなら「全部、英文で言いなさいよ。」と言いたくもな
る。

うがった見方をすると、答弁などが、国民に分かられないようにするためにどんどんみっともないカタカナ英単
語を使って煙に巻け!という作戦なのかもしれない。

日本は恥の文化ゆえ、周りがしっているのに自分が知らないのは恥ずかしいとして、分かったふりをしている人
々は数限りなくいると思われる。

日本語を習得し、英語を学び、教えてきた者として、思うことは、ちゃんとした日本語がある単語なら、英語ら
しきものに置き換えるべきではない、ということだ。

まして、日本語さえ十分に習得していない小学生に、科目で英語を教えようなどという発想は、民族の誇りを捨
てるようなものだ。

他国の民族の歴史を負っって変遷を繰り返してきて現在の言葉になったそれぞれの国の言語を

深く探求もせずに、底の浅い猿字絵ともみえるこっけいな言葉図解は、長続きするとは思えないが、きっぱりや
めさせるべきと思う。

なぜなら、そうした行為は他国の言語をもてあそぶだけで、他国におもねりつつ他国の真の文化を貶めることに
なるからである。


MLホームページ: http://www.freeml.com/9253

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花巻の年金者組合の機関誌「花の輪」に寄せた原稿です。

お食事会

小田嶋 保子

 孫娘が高校を卒業しM大学に合格した。工藤医院で産まれたばかりの彼女を腕にす
っぽり抱いたのはつい昨日のようだ。
それから早や18ねん。あっという間に時が過ぎていった。産まれた時から障害を
持つ兄がいたけれど、娘夫婦は二人の子供達を分け隔てなく育てた。だから彼女はひ
がむことなく、また義務感ででもなく全く自然に兄と接し、今やあねのような存在となっている。
幼い頃、オムツを取りに走る彼女の愛らしい姿が目に浮かぶ。それが今では、大きく成長した兄を組し抱いてで
ももくてきの場所に連れて行く。兄もされるがままに連れ去られている。全く良くできた兄妹になったと思う。
そこには、娘たちの並々ならぬ努力と苦労があったことだろう。
せめても、二人の子どもを娘が我が家(実家)で出産し、産前産後をきがねする事無くのんびりと過ごさせえたこ
とは、親と
してのささやかな満足でもある。今は亡き母もその場に居合わせ、ひ孫の面倒を見てくれたことも思い出深い。
娘と孫とひ孫が、我が母にきせずして喜びを抱いてもらえたことで恩返しができたのかもしれない。

母は戦争を体験している。私と娘は体験こそ無いがしっかり戦争の悲惨さと非道を受け継いだ。しかし、次の世
代に生きる孫娘が戦争を体験せずに済むかどうか、怪しい時代になってしまった

ここ数年特に戦争に向かう傾向が著しい。パソコンを駆使して様々な情報を貪欲に取り込んで、国会の審議を見
逃さず、日本の政治の裏表をしっかり見抜くことに全力をつくしている。

これは、紛れもなく孫達に平和な未来を残してやる責務があると実感しているからだ

。久し振りに久慈から訪れた娘一家と合格を祝うお食事会を設けた。その寿司店は、我が家の歴史の要所要所で
関わっている。娘の結婚の際に両親との顔合わせをしたり、勿論孫達は姿も形もまだ無い時だ。折りに触れてそ
の店にお世話になり、孫息子の成人のお祝い、そして孫娘の合格祝いの席となったという訳だ。
母がそうしたように、夫と私は孫娘に入学に必要なスーツ、靴、コート、カバンなど一式をそろえることにして
、それぞれを本人に選んでもらい購入した。私2は見えないけれど、彼女の輝くばかりの笑顔から発せられるピ
ンピンとした波形を感じ取ることができた。
何もかもに満足して和やかなお食事会を終えて、自宅にて、2次会を開催したらしいが、私はそのまま寝込んで
しまい、起こしても起きなかったという。2時間半も盛り上がったそうだけれど寝込んでいた私2はその時の記憶
が全く無い。私はそれでよかったと思う。思いっきりのんで、苦しくも無く夢をみることも無く、ぐっすり眠る
ことなどなくなって久しいのだから。まして、のんだ勢いで、説教めいたことを言ったり、感激のあまり涙した
りしないですんだのはお互いのためでもあった。

さて、楽しかったお食事会をばねにして、孫の成長を人類の視点で見守る大仕事に取り掛かることにしよう。


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ばん茶せん茶への投稿です。

幸福を呼ぶ樹


65才になって看護師の仕事から解放された妹から電話があった。

「ひしゃげていた幸福を呼ぶ樹を買ってきて心をこめて世話していたら、とっても元気
になったのよ。

だからもう1つやー(妹は私をこう呼ぶ)のために幸福を呼ぶ樹買ったけど、いじけて、
ひしゃげていて生き帰るかなーと不安に思いつつ数日世話したら、とっても元気になっ
たので、やーの樹として育てるわ。」と言う。

障害や怪我、病気に取り付かれ、夫婦共に老境に入りりつつあり戸惑っていて「幸福と
はなんぞや?」と苦悶していた矢先だった。

それがきっかけになれば嬉しいなー、とは思っていた。

中途失明で文字を失い、点字と音声パソコンをマスターしていた。

しかし、音声パソコンはしばしば音声が出なくなるという事件を起こす。

音の出ないパソコンはただの箱でしかない。

あれこれやってみても、どうにもならない。

夫はパソコンはしない(ワープロ派なのだ)。

途方にくれて落ちこんでいる妻を見るに見かねてか夫は私の目になってマウスで試みて
くれた。

やはり音声は出ず、その晩は諦めた。

翌朝奮闘している妻の姿に心を動かされたのか、夫は本気で取り組んでくれた。

遂にパソコンから音が出た。

天にも登る思いだった。

溢れんばかりの喜びと感謝の気持で一杯になり夫に抱きついていた。

失明しても、周りは白っぽく見えているような気がして恐くはなかった。

ところが、パソコンがただの箱になった時、本当に目の前が真っ暗になった。

その暗闇から救い出してくれたのが長年連れ添った夫だった。

二人の気持が何年ぶりかで一緒になったと実感した瞬間だった。

夫へのわだかまりがすーっと消えた一瞬だった。

見失っていた本来の自分に戻れた。

以来、二人の生活に笑いや冗談も戻ってきた。

いじけて、ひしゃげていた自分から解放され、生きようという気力が自然に沸いてきた。

きっと、妹が育ててくれているあの樹が「老後の幸福」を呼んだのだろう。

この幸福、離さないぞ!

福祉有償輸送、アイデアそしてちょっとした実績

体力も回復し、家中、はたきをかけ、掃除機をかけ、モップをかけまわって、運動不測
を補っている岩手の小田嶋です。

アー、がんばりすぎたー、と少々後悔していますが、安保法案が通った時のように、す
っきりしています。

福祉有償輸送ですが、「視覚障害者は、車には、一人で乗れるでしょう」と言われたそ
うですが

花巻でもそう言われました。

しかし、実際、一人で乗り降りするのは難しいのです。手をかしてもらって、始めて自
分がどこにいるのかが分かり、そこから動くことができるのです。

このことを理解してもらい、利用する際は常に乗り降り解除を30分上乗せすることによ
って利用中に何回乗り降りしてもかまわないようになりました。

タクシー券を利用することも要望で認められています。

区間は安いのですが、長距離になると高額になり、あまり利用することはできません。

以前は、時間で決められていましたので、半日とか、遠出ができました。

現在はガソリンの高等で、それはできなくなったのです。

様々な利用形態が必要になり、そのつど市と話し合い解決してきています。

これも、支援法の移動支援ができた時から、事業所さんと一緒に取り組んで実を結んだ
ものです。

たまたま、事業所がトラック輸送もやっていましたので、80項が適用となり

国土交通省運輸省、東北支部岩手県支部など関係部署と何度もやりとりして

許可にまで辿り着いたことを覚えています。

現在、私には、ガイドヘルプには一割負担がかかりますので利用していませんが

かなり多くの視覚障害者が利用しています。

きめては、やっても良いという事業所を見つけること、法律を学ぶこと、

そして乗り降り解除は、知らない所等では必要不可欠であることを、ちゃんと、行政の
人たちに実証してみせることではないでしょうか。

ルートさん、本を編んだのですね。素晴らしい!

私の考えるところとしては、

まず、デージーにしてもらい、サピエに載せてもらう工夫をするのがいいかと思います。

また、息子から聞いたのですが、Uチューブに内容などを紹介する動画を配信するのも
一つの方法かと思います。

息子は、いずれは、治療インを中心にしていく予定なのですが

調べてみたら、Uチューブには治療印の宣伝は無いのだそうですよ。

ホームページは、作るらしいのですが、Uチューブにまでは進出していないらしいので
す。

また、様々なねっとでもサービスはしているようですが、大抵有料みたいです。

フェイスブックなどはどうなのでしょうか?

ITのことは全く分からないのですが利用かのうならやってみる価値はありそうです。

mlのにいじまさんに本を紹介してもらうのもありですね。

また、財政的にゆとりがあれば、主要な図書館に寄付するのもいいかもしれませんね。

最近、体調を崩す前に要望していたことが、三つ実りました。

市役所本館の階段までの誘導ブロックの設置がやっとみとめられたのです。

窓口前をずっと通ってエレベーターまでは付けてくれたのですが、階段を利用したい私
は、階段まで付けてほしいと頼んでいたのです。

管財課から問い合わせがあり、防火シャッタがあるのでむずかしかったのだが

そこには突けないでよければやってみますが、との提案でした。

話を聴くと、視覚障害者のことは、殆ど知らず、

階段は大変ではないか、などなど、あれれっと思うことが沢山ありました。

また郵便局改そうで、局内には警告ブロックだらけ、歩道からの目印もなくなり、ポス
トも行方不明になってしまいました。

現場で、困る様子を見てもらい、改善されることになりました。

さらに、地域振興センターの建物以外には、点字ブロックが突かないので問い合わせた
ところ、地域の予算は使ってしまったので

敷設する予定はない、とのことでしたので

その場所で、話し合いました。

国土交通省バリアフリー新法、通達などなどをちらつかせながら、行政として公共の
施設には、敷設する義務があることをなんとか理解してもらっていました。

最近、電話があり、要望以上の内容で敷設がきまりました。

うれしいことに、幅広い駐車場の入り口に

誘導ブロックが敷設されることになったのです。

ゴム製で、貼り付ける形のものにしたそうです。

これも、私が、実際そこを歩いて見せて

どうしてもまっすぐには歩けずに、駐車場に迷い込むのを、担当の方々が目にしたから
でしょう。

百聞は一見にしかず  とはこのことでしょうね。

やっと、目まいとふらつきが収まったので、これからまた散歩や、お出かけを開始しよ
うと思っているところでしたので、うれしい成果です。

特大兎さん、演奏、聴かせてもらいました。

二つ目の、私の子どもたちへ、とても気に入りました。

それで、息子のところにそのURLを送らせてもらいました。

三毛猫ホームズシリーズを聴いていますが、時代背景が、昭和なので

携帯もスマ穂もパソコンもなく、時間の流れがゆっくりで、安心して聴くことができま
す。

ユーモアミステリーで、古くて新しい本と出合った思いです。

どこにも出かけずに、ビールを飲みながら、陽だまりの中で聴きました。

半分以上は寝ていたのですが・・・。

では、みなさんごきげんよう