Re: 岩手日報 ばん茶せん茶に本日掲載されました。 読んでみて感想などおしえてください。

この世に生を受け、日々苦悩しながら、自らの人生の答えを見つけるために闘っている

子供時代も、そして親としても、人はたった一度だけ経験するので皆手探りだ。
だから、我が両親は、自分をここまでにしてくれたことは、何事にも変えがたいほどに
素晴らしいと尊敬している。
勿論、両親のそのまた両親がいるわけで、代々受け継がれている教訓などもたくさんあ
るだろう。
自身がこれまでに失敗を繰り返したこと、成功を掴み取ったこと、数え切れない経験を
重ねてきた結果、少なくても、わが子にはたくさんの貴重な経験をさせて、本当に自分
がやりたいことを見つけて欲しいと願っている。
今回の木更津移転についての理由を以下にまとめます。

・花音を国際行政という普通の学校と同じ金額で入れるインターナショナルスクールが
あるので、世界にはたくさんの人種がいて、いろんな文化があることを学び、コミュニ
ケーションが取れて、世界を視野に仕事を選べるような人材になって欲しいということ
。なので、けっして英才教育などというくだらない理由ではないのです。
 先日も、インドからのビジターからの要望で鍼施術をしました。もっと英語に興味を
持っていれば、さぞ楽しい仕事がもっとできたのになと思います。
・オンとオフ。せめて家に帰ったときは、ゲリラ東京から少し離れ、自然に癒されたい
のと、子育てを考慮しても、東京よりは木更津の方が断然魅力的だということ。
・住環境。120平米の4LDKの10年以内の戸建てが、1700万円で落ちている
ので、現在のマンションは76平米の3LDKなので、大分安いということ。
 ・通勤時は、電車でなかなか座れないので、仕事はできないのだけれど、木更津だと
、バスなので、約2時間ほどは作業ができるので、完全にバスを下りた瞬間からオフに
できるというメリットがある。

まだまだ確定ではないし、机上の空論ではあるけれど、前向きに調査し検討したいと考
えています。
それから、岩手の田舎にということについても、田舎にいながらでも仕事ができるよう
な例えばコンサルティングなどを含めたビジネスプランや仕組みが作れればそれもある
のだろうけれど、今のところその目処は立ってはいません。
いずれにしても、もし親が片方になったとしても、この東京よりは木更津なら、もしか
したら検討してもらえる可能性もあると思います。

PS:成長は早いもので、花音は公園の芝生を走り回るようにまで元気に育っています
。つい一年前は、ずっと寝たきりだったのに。。。
先日は、美紀サイドの行事のため帰省したのだけれど、お母さんも大分花音を可愛がっ
てくれました。
花音はとても慎重で、階段の下でよぶと、しっかり周りを確認してスロープから降りて
きました笑
ダメって注意をすると、一度諦めたふりをするけれど、親が目を離したすきにまたやり
ます。。。
この間は、遊べる広場に連れて行くと、男の子とおもちゃの取り合いで負けて泣いてま
した。
公園で歩いていると、急にこっちを振り返り、抱きついてきたので、なにかと思ったら
、ミミズにびびって怖がっていたようです笑

秋には9連休があります。うちの人事部長がまた1年半でクビになりました。

花音のバラを見せにまた実家に帰る日を楽しみにしていますよ★

花音(カノン)ちゃんのバラ
昨年5月に息子夫妻に女児が誕生した。

「花音」と名づけられた。

夫と私は、彼女のイメージに合うばらの鉢植えを購入した。

早速記念樹として我が家の庭に植えた。

咲き誇っていたバラは、秋には枯れ、ひと冬、雪の下で春を待っていた。

我が家の庭は、時折訪れる母の手によって、草花が絶える事なく花を咲かせていた。

見えていた頃は私も球根を植えたり挿木をしたりなどして花を愛でていた。

時が経って、母は亡くなり、私は失明して、早や17年になる。

見えない花に興味を失い、花壇の手入れもできなくなって久しい。

それでも母のバラは、風説に耐え、けなげにも咲き続けていた。

しかし一昨年精魂尽きたのか、とうとう枯れてしまった。

そんな淋しい折り、花音ちゃんがこの世に生命を得た。

迷うことなく、枯れた母のバラが植えられていた箇所に花音ちゃんのバラを植えたのだ

った。

今年は天候不順で「つぼみもつかないなー」と夫に聴かされていた。

「そっかー」とあきらめていた矢先、バラが咲いたと知らされ、喜び勇んで庭に飛び出

した。

白い杖も持たずに。

検討をつけ手探りで捜しまわった。

木の根にひっかかって腐葉土に倒れたり、石に躓きコンクリートに仰向けに倒れて、頭

をうったり、体中傷だらけになった。

隣家の周りをうろうろしていて助けられ、おずおずと我が家に連れて帰ってもらった。


翌日、今度は白い杖を持って捜し、守備良く見つけた。

母のとは違って、バラの木は小さく可愛らしい、が、花は堂々と咲いていた。

翌日も会いに庭に出た。

少しかさかさし始めている。

ふっと思った。

「人は時に適って美しい」と。

これは母の好きな言葉だった。

そうか、花音ちゃんのバラは、これから先、何年も花を咲かせる潜在力を持ているのか


とすると、祖母たる私には、花音ちゃんたちのために、戦争の無い平和な国を護るべく

もう一花咲かせる役目があるのだ、と気づかされるのだった。