夜汽車

ずっと、眠れない日々が続いている。

睡眠薬でやっと4時間ぐらいは眠れている。真夜中に目を覚ますと、夜汽車が通りすぎる音をよく耳にする。

思い起こすのは「夜汽車」という輪唱の歌である。

夜汽車には、窓があって、ほのぼのとした電気の明かりが漏れては、遠ざかっていく。そして、走りも、ずっとゆっくりしている。

何しろ、子供の頃は、家族皆で、上野まで行くのに、一昼夜かかったものだった。「がたんゴトン「と、れーるの立てる音に誘われて、いつか、眠りに入ってしまう。

何度、東京に行っただろうか?

父に伴われて、大きな病院に目を見てもらうためだった。

どんな列車に乗ったかは、覚えていない。

「私のめは、余程悪いのだろうか」という不安を感じながらも、あの、列車の天井にある電気から放たれる赤みを帯びた黄色い光に車両全体が包まれて、自分も、その一人として、走る汽車の箱の中で、その光に包まれているのだと、安心したことを覚えている。

不思議にも、その風景には、父はいない。

いつも、冷房の効いたデパートで、お寿司を食べたいと言っている自分と、向かいにすわって、ニコニコしている父の姿と、熱風のような戸外で、父の手にひかれて、歩いている自分の姿を、思い描くだけである。

のんびりした時代、輪唱で「夜汽車」を果てしなく歌ったことを思い出しながら、ごく自然に、思い出が様々に蘇ってくる。

昨夜通過した夜汽車は、高速で、それはそれは、いつまでも続く長い貨物列車であったろう。

それでは、風情もあったものではない。と人は、思うだろう。



時代が変化しても、夜汽車の走り抜ける音に出会う度に思うことは、いつも同じである。

貨物列車は、物を運ぶ。呼びかけても、なんら返事は戻ってこない。ひたすら、計器を見て、ホームなど無視して、失踪する。

そこには、「責任感「もあるだろうが、独房にでも入れられたような、「孤独感」に始終、苛まれていることだろう。現代人の「縮図」を見るようである。

高齢者でも、障害者でも、土木作業員でも、列車の運転手でも、現代は、皆、ばらばらにされて、「悲鳴」さえ挙げられずにいる。

学歴ではなく、地を這って働いた先輩たちがいる。彼らは、密かに、そして戦後は、おおっぴらにスクラム組んで、血を吐く重いで、「声」を挙げて来てくれた。それを「プロレタリア運動」と言って、「文学」も、働く者を主人公として、多くの作品を世に出している。

それが、今、陽炎のように、消えかかっている。何故だろう?

「勝ち組、負け組み」という「価値観「に支配され、そうした者は、見向きもされなくなった。

それでも、貨物列車の「夜汽車」は、黙々と、「孤独」を共に、走りつづける。

昔のように、「お日様とともに起きて、働き、日暮れとなると、家族団らん」といった、まさに「人間のバイオリズム」にかなった生活を取り戻したい。あの、懐かしい夜汽車とともに、この世から、消え去るのを、むざむざ待っている分けにはいかない。

」^「カンマック、シェーン。カンバック夜汽車!」